教育委員会所蔵
明治政府の窮民救済政策によって開墾地となった七栄では、開墾が思うように進まないことから開墾者が富里を去り、政府は開墾地の払い下げを行います。
それらの土地343町歩については、三菱財閥二代目岩崎彌之助氏が購入することとなり、明治44(1911)年に同所で養鶏、養豚事業が開始され、大正元(1912)年には「末廣農場」と名付けられました。
その後、末廣農場の経営は「小岩井農場」の経営者でもあった、三菱財閥三代目岩崎久彌氏に引き継がれることとなり、養鶏等に関するさまざまな研究成果は千葉県農業技術の近代化の基盤を築いたといえます。しかし、第二次世界大戦後の農地解放施策によって施設は千葉県に譲渡されることとなり、昭和46(1971)年には新東京国際空港の代替地となってその歴史に幕が下ろされます。
「末廣農場実測図」は、その記載から大正3(1914)年2月に農場総面積把握のために製作されたものであることが明白ですが、実測及び作図については作業者名等の記載がなく不明です。平成21年に庁舎内に保管されていることがわかったものであり、当市においては同農場の様子を窺い知る紙資料の初めての発見となりました。なお、当市に保管されていた経緯については不明です。
実測図は長さ5m30cm、幅1m60cmを測るロールケント紙を用いて作成されており、縮尺1200分の1で農場全体図を三分割して記載しています。図を詳細に観察すると測点と考えられる位置には針による微小な孔が多数存在しており、原図から針を用いて大型の本紙に転写したものであることがわかります。また、測点の数が非常に多く、対象地を綿密に測量しようとした意図が窺えます。
なお、ケント紙が日本で生産されるようになるのは昭和8年からであり、大正2年までは海図用として英国から輸入していたことがわかりました。本図が大正3年に作成されていることから、このケント紙は英国製である可能性が高いと考えられます。
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