富里市七栄字東内野272-19外地先
富里小学校前の道路を成田方面に向かって250メートル程進むと細い道が交差します。そこを左折し30メートル程進んだ右側に説明板が有り、奥の畑の中に東内野遺跡が在ります。
この遺跡が発見された経緯は、成田空港の建設に伴い七栄字東内野地先がその代替地となったため、昭和50年11月に現地踏査が行なわれ、「土師器(はじき)」数点と旧石器時代の「剥片(はくへん)」3点が採取されたことが発端となりました。
このことから、試掘調査を行なったところ、9ヶ所の試掘溝の内5ヶ所から旧石器時代の遺物が発見されたため、昭和51年1月から2月にかけて本格的な発掘調査が行われ、1万3千点の石器が発見されました。
当時、千葉県内において、一つの遺跡からこれほど多くの石器を出土した遺跡はありませんでしたが、その出土量の多さよりも驚いた発見がありました。
その発見の第一は、槍の形をした石器の側面に「樋状剥離(ひじょうはくり)」と呼ばれる特徴的な加工を施した石器の発見でした。この特殊な加工を施した石器は、他の遺跡から発見されていた石器とは異なることから、遺跡の名前を冠して「東内野型尖頭器(ひがしうちのがたせんとうき)」という名前が付けられました。現在の旧石器時代研究では、その存在が当たり前になっていますが、当時は大変重要な発見として県内外の研究者の注目を集めました。現在では「有樋尖頭器(ゆうひせんとうき)」という名でも呼ばれています。
第二の発見は、遺跡に石器を残した人々が生活していた時代(約3万から1万3千年前)に東内野遺跡には沼(水溜り)が存在していたことでした。そして、この沼はオアシス的な存在となり沼と思われる低地の土壌を科学的に分析した結果、沼には常に水が溜まっていなかったことがわかりました。
発掘調査においても、水溜りが乾いて亀裂が入った土層が発見されていることからも、沼は常に水をたたえていたのではなく、長雨などが続いた時に一時的に現れる「幻の沼」であったことが考えられます。
また、出土した石器の位置を地図上に落としてみると、水が溜まっていたと考えられる範囲が示され、旧石器時代の沼の様子がうかがえます。
この東内野遺跡の調査で、旧石器時代の富里の自然は、草原と乾いた赤土が広がる平坦な大地で、雨季には幻の沼が現れるという環境が考えられます。そして、水辺に動物が集り、その動物(獲物)を追って、人々が沼の周辺に生活していたとも考えられます。
また、東内野遺跡には、石器製作において優れた技術を持った人が多く住んでいたと考えられます。
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