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大久保卿牧羊場選定の碑

  • [2013年4月18日]
  • ID:1159

市指定有形文化財【美術工芸品】

大久保卿牧羊場選定の碑(おおくぼきょうぼくようじょうせんていのひ)

【写真】大久保卿牧羊場選定の碑

富里市御料171-3

明治8年(西暦1875年)、殖産興業の一つとして毛織物の原材料となる羊毛の国内自給を図るため、明治政府は日本で最初の牧羊場(下総牧羊場)を富里市十倉(とくら)・御料(ごりょう)などに開設し、それらを管理する事務所を両国に置きました。

この牧羊場の選定に際して、次のような逸話が残されています。

明治政府は牧羊場の選定に際し、「東京勧業寮試験場」という組織の中に「牧羊開業取調掛」という係を設置していました。この係によって、日本国中の牧羊地に適する候補地が調査されることになり、その中に富里も含まれていました。

富里の選定地調査には大久保利通も同行していました。そして、その際に近くにあった土手に駆け上がり大久保利通が四方をぐるりと見回し、この地に牧羊場を開設すると言ったそうです。

専門的な調査が実施されているのにもかかわらず、内務卿である大久保利通の鶴の一声の威力は絶大で、これが決め手となってここに牧羊場の開設が決定したと言われています。また、大久保利通が、そうと知ってか知らずか駆け上がった土手こそが、江戸時代に野馬の放牧に利用されていた「野馬(のま)土手」であったことは言うまでもありません。

現在、碑が建立されている場所は豊受(とようけ)神社(旧宮内青年館)の敷地内であり、大久保利通が選定を行った場所からは移動してしまっているため、当時の情景を思い描くことは難しいのですが、道路沿いには当時の野馬土手が良好な状態で残されている場所もありますので、土手に駆け上がって、大久保卿の気分を味わってみてはどうでしょうか。

大久保利通が駆け上がった野馬土手は無くなってしまいましたが、その場所は「こひつじ保育園」の裏側(北側)の土手だといわれています。この土手は芝山方面に続いていて、今も所々に残っています。

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ファクス: (中央公民館/社会教育班/文化資源活用班) 0476-91-1020 (スポーツ振興班) 0476-93-9640

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