明治の初めころのことである。その頃の両国近辺はまだ住む人も少なく、商店もなかった。近所に入植した開拓者たちは、早くから開けていた高野まで出かけて物品を購っていた。
ある日、十ばかりになる男の子が、高野まで酒を買いにやらされた。行きはよいよい、帰りはこわい、で、使いに行くことはいやではないのだが、酒をいっぱいに満たした重い樽をかついで帰ることを考えると、心中おだやかではない。
男の子は道々、なんとか楽に運べる方法はないものかと、考え考え砂ぼこりの道を歩いていった。
その時、ある考えが男の子の中でひらめいた。「よし、この手でいこう。」男の子は足早になって高野へ向かい、酒屋に着くと急いで酒を買った。
酒屋の目の前は田んぼで、その中央に小川がひとすじ流れていた。少年は何を思ったか、酒樽をその川に投げこんだ。ぷっかり浮かんだ酒樽は、のんびり下に向かって流れ始めた。
途中、川は二つの筋に分かれていた。その一方に樽をひき寄せて、なおも流し続けた。
その川は、実は、高野から、今の武州の森田邸の下の低地を通って、ずっと両国の内田邸の付近へ抜け、三里塚道から川津場の方へ流れていたのだ。男の子は、かねてからそのことを知っていたので、これを運搬に利用したのだった。酒樽は無事家に着いたのである。
この男の子の機知は、たちまち他の子どもたちに伝わりみんなこれを真似た。酒樽だけでなく、重いものを運ぶのに、水にぬれないよう、沈まないようにくふうして運んだ。終点には柵を設けて遊びにかまけても荷が流失しない工作もしたという。
両国の近くに「流れ」の地名があるが、こうした由来があるという。
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