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地名に見る富里の歴史(第5回 新橋編1)

[2013年1月4日]

新橋は、平安末期に記された地名で、新しい橋と書いて「ニッパシ」と読みます。
新橋を流れる高崎川の源流は、七栄、高野、八街市の3か所にあり、その広大な台地からの水が集まり新橋を流れます。昔から水害の多かったことが古文書にも記され、宝暦6年(1757年)から10年まで年貢量を検見により決めていた、他には例のないことでした。
これは大水になることが多い事からの処置と思われます。この時の橋は、木で造られていたため流されることも度々あったと推測されます。こんなところに地名の由来があるのではないでしょうか。

 

新橋のほぼ中央に水田があり、その中心を高崎川が流れ、東は中沢地区で、西側は酒々井町の飯積と尾上です。

水田の北側には3つの谷津があり、全ての谷津は七栄に侵入し、上流の谷津は深く、枝別れしています。南側はわずかな段丘と、小さな3つの谷が台地に侵入した地形です。

高崎川の流れは、酒々井の飯積、墨、そして奈良時代に建てられたと言われている長熊廃寺(ながくまはいじ)のある佐倉市和田地区の長熊を通り、印旛沼に注がれています。

この高崎川の流域は、原始・古代と中世に栄えた流域で、数多くの遺跡があり、文化の中心的な役割を果たしていました。そして新橋という地名は、平安時代末期久寿2年(1155年)の「印東庄郷司村司交名(ごうじそんじきょうみょう)」という古文書に、「新橋朝原清里」という地名を付けた荘官と思える人物が記されています。

新橋は、観音堂がある方に、早くから人が住みついていたようで、享保16年の年貢割付状に、川向谷津という記載があり、この川向谷津とは北側の谷津田を差していることから、古くは村の中心は、観音堂がある台地にあったことが分かります。

新橋の地名で、水田や谷津田に付けられた新道(にいみち)、中新道、下新道、堀尻、三股、上横谷津、下横谷津、姥田(うばた)坂下、姥田、宮ノ先、上寺沢、中寺沢、下寺沢、寺沢、上杣田(そまだ)、下杣田、五斗蒔、長町、猪ノ尻、水白(すいはく)、曽利町(そりまち)、高崎があります。

川の北側にあたる台地には、大作、芦台、宿ノ辺田(へた)、中ノ台、中ノ茎、外山、宮ノ台、宮ノ下、登台、郷辺田(ごうのへた)、薬師岳、寺沢台、杣田台(そまただい)、駒詰、高松、中ノ口があり、川の南側の台地には、台畑、天上海道(てんじょうかいどう)、堀ノ内、茶ノ木、東長作、笠掛、芳ケ作、宇津茂(うつも)、顔目笠掛(がんめかさかけ)、町山台、長塚、長作、屋敷前、地内作、地内台、宮塚、物見塚、嘉込があります。

水田と台地に掛かる地名として、山ノ下、西ノ下、瓜房(うりぼう)があります。富里で最も地名の多い地区で、自然的な地名と歴史的な地名と社寺関係による地名とがあります。宮ノ下には、麻賀多神社があり、神社は急な階段を上った所に本殿があり、その中断に額堂があり、昔は獅子舞などが奉納されていたようです。

現在は、1月20日に、湯立神事が行われています。そしてこの周辺には、宮ノ台、宮ノ先という神社に関係した地名があります。(つづく)

湯立神事の様子

湯立神事

新橋村

参考文献

富里村史 通史編
1981年7月 富里村史編さん委員会

※広報とみさとに掲載されたものを再構成しています。

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