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地名に見る富里の歴史(第4回 根木名編)

  • [2013年1月4日]
  • ID:2428

根木名には、むかし継場(つぎば)という交通の中継点がありました。内陸の佐倉道から外房に向かう交差点があり、人や荷物を馬に乗せ替えて、次の継場まで送りました。この時の根木名は、大いに賑わったことでしょう。
継場の脇には、根木名川の源流が流れ、水は利根川を経て海に出ます。旅人は根木名川の水で喉の渇きをいやして、根木名の継場から次の継場へと進み、海の見える外房に旅をしたのでしょう。

 

根木名川は、川の上流が根木名にあることから、その名が付けられました。根木名川の源は、葉山と大堀にあり、この小川が合流する根木名の、前川の水田からカワラケが発見されていて、水神が奉られていたことが考えられます。

根木名には、前川、浅間台(せんげんだい)、和免(わめ)、塚田、宮前、猪ノ穴、植上、広田谷津、広畑、台芝、作畑、野辺作(のべさく)、中野、松作、笠木、細田、西谷津、笠木山という地名があり、水田と畑に関わる地名が多く、作と付く地名が特徴的です。

浅間台には、斜面地に浅間神社があり、宮前の地名があるところには、白幡神社があります。この他に、皇産霊神社が松作にあり、通称「大六天」と呼ばれ、男女間に関することや、他人の楽しみを自由自在に自分のものに変える法力をもった天魔と言われてます。

お寺は常光寺で、本堂はなく薬師堂が残されていて、この堂内で、お盆の8月13日の夜と、15日に使う盆綱を中学生がリーダーとなり、つくっています。

古文書によると根木名は、寛永5年(1628年)、根木名田畑検地反別帳には高232石余とあり、延亨3年(1746年)、天明8年(1788年)には、諸国巡見使の交通に伴い、人馬割を関係諸村に通達、天保9年(1838年)には、巡見使の交通に伴い、成田村新勝寺から火鉢、煙草盆などを借用、その通過に伴う人馬の惣遣い方を、佐倉藩役所に提出しています。また家数32軒、人数169人と記録されています。

根木名には、佐倉道と、外房方面を結ぶ脇往還の継場で、巡見の時は根木名を経由するため、28か村の定助郷、代助郷村があり、弘化3年(1846年)に、人馬の提供を求め、騒動が起きています。

このように根木名は、佐倉道の交通の継場で、佐倉・成田方面と外房方面(九十九里)を結ぶ道が交差し、その周辺には長屋門があり、その中の南昭一家には、「五箇条御誓文」の太政官高札(だじょうかんこうさつ)が6枚あり、人の往来のあった交差点周辺の高札場に掲示されたものです。また、浅間台北側の道路の傍に、「孝心」と銘を刻んだ道標を兼ねた粋な庚申塔があり、旅人に孝心を思い出させたことでしょう。

根木名に残されている、長屋門、太政官高札、孝心と刻んだ庚申塔などは、貴い歴史資料です。

庚申塔

庚申塔

根木名村

参考文献

富里村史 通史編
1981年7月 富里村史編さん委員会

※広報とみさとに掲載されたものを再構成しています。

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