『富里すいか100年』"受け継がれてきた こだわりの甘さ”
- [更新日:]
- ID:17506

『富里すいか100年の歴史』

大地と人の想いが、時を超えてつながり、「富里すいか」は100年の歴史を刻んできました。
これからも変わらぬ、おいしさを、『未来へ…』
大正末期
すいかは、千葉県内でもともと作られていましたが、九十九里沿岸から銚子あたりでは古くから産地として「アイスクリーム」種の供給地でしたが、大正に入り、奈良県産の「大和すいか」が主流となり、本県産は大打撃を受けました。
富里では、大正15年(1926年)に、十倉地区の1軒の農家が0.5ヘクタールを栽培したのが始まりで、翌年には、3軒の農家による0.85ヘクタールの共同栽培が行われ、当初から共同栽培・共同出荷が実施されており、これが市場価値を高めるうえで大きな力となりました。

昭和初期 すいかの産地として確立
富里での本格的なすいか栽培は、千葉県立農事試験場ですいかの火山灰土台地向きの品種「都1号」の出現(昭和8年(1933年))に始まり、富里の南部地域を中心として、すいかの産地としての意気込みが高まり栽培面積が広がりました。
また、昭和11年には、「富里村西瓜栽培組合」は、120ヘクタールの面積を作付けし、「都3号」が入り、生産技術統制と共同販売が成果を上げ、富里で生産されたすいかが皇室へ献上され「富里すいか」が確かな評価を得るようになりました。

富里村西瓜栽培組合 献上すいか記念
昭和中期 栽培が全域に拡大

戦時中は、「作物作付統制令」によって栽培面積が激減しましたが、戦後、昭和23年頃から 再び栽培が本格化し、昭和30年代になると、栽培が富里全域に拡大し、連作による病害対策として「接ぎ木栽培」が導入され普及しました。
また、農業協同組合と出荷組合の一体化により検査・市場指定・計画出荷を行い、高値販売の実績を積み上げ、千葉県のすいか「富里すいか」が名声を高めました。
※「接ぎ木栽培」とは…病害虫に強い台木(かぼしゃ・ユウガオ・トウガンなど)と収量・品質の良い「すいか品種」を接合して1本の苗として育てることで、土壌病害に強く、連作しやすい栽培が可能になります。
昭和後期から現在 全国有数のすいか産地へ
現在、火山灰土質向き品種の育成・改良やビニールハウスなどの施設の導入、栽培技術の向上など、農家と関係者の長年の努力によって、全国有数のすいか産地となりました。


参考文献:「千葉県野菜園芸発達史」編さん会(千葉県庁農林部園芸課内).千葉県野菜園芸発達史.千葉県.1985
全国初「富里市すいか条例」を制定!!
令和3年4月に、全国で初となる「富里市すいか条例」を制定し、市、生産者、事業者および市民が一つになって、市の顔である「富里すいか」を守り育てています。
お問い合わせ
ソーシャルサイトへのリンクは別ウィンドウで開きます

