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とみさとの歴史(中世)

  • [2022年8月22日]
  • ID:2385

中世の富里は、鎌倉幕府の成立過程で下総国内に多くの所領を獲得し、下総国守護として圧倒的な勢力を誇るに至った千葉氏の支配下に入った。

富里の古村と言われているところは、中世のころには現在のような集落の形態ができていた。そして、そこには中心的な役割を担っていた中世豪族の存在がうかがえる。「吾妻鏡」等に見える「中沢兵衛尉」を富里の中沢に住した千葉氏支族とする説があったが、中沢兵衛尉は現在埼玉県児玉郡美里町大字駒衣を本貫地とした御家人であることが判明している。千葉氏と関係したものに三谷氏の名がある。三谷氏は千葉氏支族で、現在の多古町の出身で、三谷氏と富里の関係を示すものとして「香取造営料足納帳」(応永13年)に三谷兵庫殿分の土地として中沢が上げられ、他に立沢も含まれる可能性がある。そして中沢昌福寺には三谷胤政の供養塔が建てられている。

千葉氏は分家の独立傾向が強まり、宗家の座をめぐって紛争が続き、その結果戦国時代に入っても、千葉氏は戦国大名には発展することなく、後北条氏側の一武将的な存在にとどまってしまった。やがて豊臣秀吉の小田原攻撃の際、後北条氏側についた千葉氏は後北条氏の滅亡により運命を共にした。

宝筐印塔

宝筐印塔
(富里市指定有形文化財)

中沢城跡

中沢城跡
(富里市指定史跡)

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