野馬捕り
富里市をはじめとする千葉県北部地方は、かつて下総と呼ばれ、広大な牧(まき)を形成していました。この牧には野生の馬が放牧されており、古くは平安時代の官牧に始まり、徳川家康の関東入府以降は「佐倉七牧」として発展し、独自の馬文化を築いてゆくことになります。
その牧を直接支配していた世襲制の役人は「牧士(もくし)」と呼ばれ、村々との連絡や野馬の管理の請け負いなどを仕事としていました。また、幕府への献上などの目的に、旧暦7月から8月に行なわれた「野馬捕り」は1年で最も盛大な行事であったと文献に記されています。
現在、市内には「駒走(こまばしり)」「野馬木戸(のまきど)」などといった馬に由来する地名も多く残り、牧を区分けした「野馬土手」も市の随所で数多く見ることができます。
牧場
明治維新を経て、佐倉七牧は開拓地として印旛県に引き継がれ、明治13年には、時の内務卿・大久保利通の開設した下総牧羊場と取香種畜場が合併し、「下総種畜場」として事務所を富里市高掘から成田市三里塚に移転しました。
明治21年には下総種畜場の管轄が宮内庁に移り、「下総御料牧場」と改称した後は、日本の競走馬の原点とも言える種牡馬である、トウルヌソルが昭和2年に、ダイオライトが昭和10年にイギリスから輸入され、日本ダービーなどのタイトルを獲得した優駿を数多く輩出しました。
競走馬の育成はもとより種牡馬の生産など、これらを払い下げることで民間牧場の馬匹改良にも多大な貢献や業績を残してきました。
馬のセリの様子
昭和44年、成田空港の建設で牧場が栃木県高根沢町に移転した後も、競走馬の名残りは富里市などで育まれ、中央競馬や地方競馬に向けた育成や調教の場として、市内には現在十数件の牧場・乗馬クラブが点在しています。
また、大久保利通の開設した牧羊場跡の石碑がある両国地区では、千葉県両総馬匹農業協同組合があり、馬のセリ市も開催されていました。
このように、野馬から競走馬へと至る「富里と馬」の歴史は、現在でも脈々と流れているのです。
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