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佐倉牧の牧士資料

  • [2021年1月29日]
  • ID:1154

千葉県指定有形文化財【美術工芸品】

佐倉牧の牧士資料(さくらまきのもくししりょう)

【写真】佐倉牧の牧士資料

富里市教育委員会

藤崎家は、天保4年(西暦1833年)に分家二代目勝左衛門が牧士を任じられて以来、江戸幕府の牧士を勤めてきた家柄です。幕末までその任についていたことから、数多くの牧士史料が保管されており、そのうち、41点について昭和50年12月に県指定文化財として指定されました。

北総台地における放牧の歴史は古く、平安時代にまで遡るといわれています。中世では小田原北条氏が千葉氏に命じて牧(牧場)の管理をさせていました。

江戸時代に引継がれた牧経営は徳川幕府により管理体制が整えられ、「野馬(のま)奉行」という役職を設け、各牧に牧士と呼ばれる士分の農民を置き、管理に当たらせていました。

徳川幕府によって管理された牧は、小金牧と佐倉牧に区分され、さらに佐倉牧は小間子牧(おまごまき、八街市)、取香牧(とっこうまき、成田市)、油田牧(あぶらだまき、香取市)、柳沢牧(やなぎさわまき、八街市)、矢作牧(やはぎまき、成田市)、高野牧(こうやまき、富里市)、内野牧(うちのまき、富里市)の7つの牧に区分されていました。このうち、柳沢、高野、内野牧は佐倉藩によって、残る四牧については徳川幕府直轄地として管理されており、藤崎家は取香牧を管理する牧士として任命されていました。

牧士は、苗字帯刀(みょうじたいとう)のほか、麻裃(あさかみしも)の着用、乗馬鉄砲を許されており、主に勢子(せこ)と呼ばれる人足を使用して、牧内の水場や樹木の手入れ、野馬の管理などに従事していたと伝えられています。

また、佐倉牧では、農閑期の旧暦七月から八月にかけて、牧場最大の行事である「野馬捕り」が行われ、捕らえられた野馬は幕府役人の乗馬、役馬として用いられ、さらに農耕馬として農民に払い下げが行われていました。

このように、牧士の仕事は多岐にわたっていましたが、藤崎家より寄贈され、現在、富里市教育委員会が所蔵している資料は、江戸幕府の馬事政策、牧士の生活、牧の実情などを伝える重要な資料といえます。

お問い合わせ

富里市役所 (法人番号1000020122335)教育部生涯学習課

電話: (中央公民館) 0476-92-1211 (社会教育班)0476-92-1211 (文化資源活用班) 0476-93-7641 (スポーツ振興班) 0476-92-1597

ファクス: (中央公民館/社会教育班/文化資源活用班) 0476-91-1020 (スポーツ振興班) 0476-93-9640

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