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南大溜袋遺跡

[2013年1月4日]

千葉県指定記念物【史跡】

南大溜袋遺跡(みなみおおためぶくろいせき)

【写真】南大溜袋遺跡の石器

富里市七栄91-7

国道296号線七栄交差点から酒々井方面に向かい、源田酒店前の信号を左に曲がり、その先の十字路を右に曲がります。そこをしばらく進むと坂があり、もう少し進むと左側に説明板があります。

縄文時代初頭に位置づけられる南大溜袋遺跡は、南向きの舌状(ぜつじょう)台地で日当たりと水場に恵まれた、原始・古代の人が住むのには最適な環境です。

遺跡が発見されたきっかけは、地主の篠原さんが農作業中に石槍を発見したことでした。考古学に興味を持たれていた篠原さんが、このことを「成田史談」という雑誌に載せたところ、この報告が研究者の目に留まり学術調査を行なうこととなりました。そして、昭和47年10月と昭和48年10月に成城大学考古学研究室により、発掘調査が行なわれました。

この調査の結果、関東ローム層と呼ばれる赤土の上層部のソフトローム層中から石槍137点(植刃(しょくじん)と呼ばれている石器を含む)・矢柄研磨器(矢柄を研磨する有溝てい石)・スクレイパー(削るための石器)・矢じりなど多数の剥片が発見されました。

南大溜袋遺跡に住んだ縄文時代草創期(始まり)の人々は石の産地で粗く作られた石器を運び込み、生活に必要な石器を作ったことがわかりました。また、石器を作った石材は、山形県・青森県・茨城県などから運び込まれたものでした。

縄文時代草創期の石器である植刃は、単独で使用する石器ではなく、木や角などに溝を彫り、この溝に植刃を植え込んで大型の槍(やり)や鉈(なた)などとして使ったものでした。

当時、このような特殊な石器を出土する遺跡は、新潟県本ノ木遺跡・小瀬ガ沢遺跡・群馬県石山遺跡・東京都狭山・六道山浅間谷遺跡が知られているだけでした。そのため、この石器が旧石器時代のものなのか縄文時代のものなのかが研究の焦点となっていました。そして、調査されて2年後の昭和50年3月に千葉県指定史跡となりました。

近年では、同様の遺跡から土器に伴ってこの種の石器が発見されるようになり、縄文時代草創期の遺跡であると考えられるようになりました。そして、旧石器時代から縄文時代に移行する段階の研究の上では重要なものになっています。

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