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とみさとの歴史(原始・古代)

  • [2022年8月22日]
  • ID:2372

富里市中央部には高崎川が西へ向かって流れ、北東側には根木名川が流れる。この二つの川の流れから枝分かれした谷津によって台地が複雑に刻まれ、舌状台地や緩やかな地形が形成されている。ここに原始・古代の遺跡、すなわち、東内野遺跡、獅子穴2遺跡をはじめとする旧石器時代の遺跡が多く発見されている。これらの遺跡からは、旧石器時代後半に伴うナイフ形石器、尖頭器が多く出土している。中でも特筆されるのは、東内野遺跡から発見された樋状剥離(ひじょうはくり)を持った尖頭器(槍)で、これは極めて特徴的であったため東内野型尖頭器と命名され、現在では全国的に知られる石器となった。また、石器の出土した地層の年代から富里には3万年ぐらい前から旧石器時代の人々が生活していたことが分かっている。

また、旧石器時代と縄文時代初頭にかかる南大溜袋遺跡からは、多量の石槍が出土し注目されている。縄文時代早期後半の遺跡は数多く存在し、その中で金堀遺跡から発見された土器は、絡条体圧痕文(らくじょうたいあっこんもん)という特徴ある文様が付けられていたので金堀式土器と命名された。縄文時代晩期から弥生時代にかけての遺跡は極めて少ないが、縄文時代の初頭草創期から早期、前期、中期、後期、晩期の遺跡があり、富里に住んだ縄文人の足跡を知ることができる。

新しい大陸の文化を持った弥生時代、古墳時代の遺跡は少なく、高崎川と根木名川の下流に点在するのみである。また古墳の分布も稀薄で、日吉倉と七栄の酒々井町寄りに確認されているだけである。

また、日吉倉の古墳から出土した須恵器は近畿地方のもので、東海地方と関係を持った有力者の存在を物語る。奈良・平安時代の遺跡は高崎川と根木名川の流域を中心に存在している。また、木戸川を望む台地にも遺跡が認められる。この時期の遺跡には大規模なものはないが、中沢塚越遺跡からは和銅開珎を伴った住居跡や、古代寺院を思わせる四面廂(しめんびさし)を持った掘立柱建物跡が発見されている。この他に野馬木戸遺跡の住居跡からは小形の鋸が出土している。また、立沢と高野の境にある吉川遺跡には須恵器を焼いた登り窯が存在し、ここで焼かれた土器はこの周辺はもとより遠方まで運ばれて使用されている。この他に久能高野遺跡からは、「罪司進上代」と書かれた墨書土器が出土し、この地方にも優れた文字文化があったことがわかる。印東荘は、佐倉市、酒々井町、富里市にまたがる大きな荘園で、平安末期には上総氏の支配下にあった。その後、印東二郎常茂そして千葉介家の所領に転じたものと想定される。

東内野遺跡上層

東内野遺跡上層

南大溜袋遺跡

南大溜袋遺跡

獅子穴6遺跡

獅子穴6遺跡

新橋遺跡

新橋遺跡

新橋遺跡

新橋遺跡

久能高野遺跡

久能高野遺跡

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電話: (中央公民館) 0476-92-1211 (社会教育班)0476-92-1211 (文化資源活用班) 0476-93-7641 (スポーツ振興班) 0476-92-1597

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